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渡海文科相、「ゆとり」代名詞の新成人擁護 VS 勤勉

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080115-00000918-san-pol

1月15日11時53分配信 産経新聞

「ゆとり教育世代を一くくりにとらえないで」…。現行学習指導要領で学んだ「ゆとり世代」がインターネット上の掲示板などで低学力の代名詞として扱われていることをめぐって、渡海紀三朗文部科学相は15日、閣議後の会見で反論。「そう見る必要は全然ない。一つの世代を一元的にとらえることはなかなかできない」と強調した。
 「ゆとり教育」と呼ばれる現行学習指導要領は小中学校で平成14年度、高校で15年度から始まった。新成人は高校3年間すべてを現指導要領で学んだ初めての世代とされる。

(コメント)
大臣がわざわざ擁護するのだから、少なくとも擁護される理由があることは事実であろう。

日本の統計-我が国の人口ピラミッド
http://www.stat.go.jp/data/nihon/g0402.htm

今年成人の世代は、全体から見ると少数派の世代であろうが、さらにその下の世代のほうが少なくなってきている。

戦争経験世代 ->戦後の貧困経験世代 -> 学生運動世代 -> 受験・勤勉世代 -> ゆとり世代 ->

ときて、いよいよ、日本を本気で支えることのできる勤勉世代をもういちど確保しておく必要性がでてきたのだろうか?

勤勉であるとは、いいかえれば、上に逆らわず、まじめに、社会に対して忠誠心をもち、おしくら饅頭満員電車に詰め込まれても疑問に思わず、
社会保障が絶望的でも気にせず、教科書が伝える正史の歴史観しかもたない世代。

白村江の戦いから遣唐使の廃止、王政復古の大号令から第二次大戦の大敗

それぞれの時代の与えられた歴史観しか持たない世代

自由と誇りを求める魂の叫びにきづいてやることができず、従って、心から満足することもできず、かといって、その虚無感にたいして気づかないようにしている世代。

それには、忠臣蔵やヤッ●ー●ンのような勧善懲悪ブロードキャストたれながしメディアでそめてしまえばある程度は可能だろう。

ゆとりをあたえたところで、真理などめもくれず、IT長者に理想をおく金のなる木をもとめることに熱中してしまうのだから。

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【復活】ヤッター、ヤッター、ヤッターワン♪

ヤッターマンが復活したようだ。しかも、19時放送だ。

昔は、毎週土曜日に、戦隊ものが18時からで、タイムボカンシリーズは18:30からだったと思う。

当時、小学生低学年だった内容を、今の年で改めて見直すと、内容も声優もほとんど変わってなかったせいか、今なお、内容にするどい洗練さを感じ入った。

当時の子供をひきつける多くの要素を実に多く含んでいた。あの当時のアニメは、やはり、魂がこもっていたと思う。内容もばかばかしさ含めて洗練されていた。

ヤッターワンの未来型メカニック・コンピューティング性、

主人公二人の、少しどじで親近感を持たせるヒーローとロリータ美少女ヒロイン

(ヤッターワンにヒロインのにおいのハンカチをかがせてやる気を出させるところや、人間的には最低な天才ボヤッキーとドロンジョ様のSM的なやりとりなど、子供にはわからない、あきさせない小道具がふんだんにちりばめられていたことを感じさせられた)

他にも、

力のドニジューロ

今でもしっかりと頭に残っているテーマソング

「豚もおだてりゃ木に登る。ブー」のお決まりのセリフ

「そうでコロン」のコロスケ

ヤッターワンの産み出す小人ロボット「カニッ、カニッ、カニッ、など」

すべてのキャラクター、きめ台詞が毎週同じ内容なのに、飽きることはなかった。

このような子供向けの現代版、勧善懲悪、一話完結型アニメを毎週、夢中になってみていた世代は、島国日本で、ぼったくられサラリーマンとして、大人になっているのでしょう。

実に、見事な、教育番組であると感じさせられました。

10数年?20年?ぐらいの時を越えて、再び、子供向けの教育番組として、19時という時間帯に復活したのは、今一度、若者のモラルを正そうという意向が働いているのだろうか?

人間に自由を与えても堕落してしまうだけなのだろうか?

ここ20年でモラルが大きく変化したと思う。

「絶対」を探求するものにとっては、モラルに関する良し悪しを定めることはできないが、時代の螺旋的発展を常に繰り返すというが、また、方向転換が起きているのだろう。

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日本の総人口の推移

2007年のテレビの意図(日本の洗脳)を振り返ってみると、家族、結婚に光を当てた番組・報道が多かったと感じた。

バブル期には、独身貴族、キャリアウーマンに光を当てていた。

1990年(バブル期)
独身貴族(例:田村正和)
キャリアウーマン
2000年
負け組み女性
セレブ
ヒルズ族
2005年
ニート
家族・夫婦
2007年
・青木さやか
・藤井、おとは
・ジャガー横田夫妻
・佐々木健介夫妻

たとえば、我が家の様子や食事などをビデオに撮影して、紹介するような、おしゃれイズム(上田、森泉、藤木直人)などの番組もいい例で、都会に住む独り者にとっては新鮮に移るはずだ。

一昔前は、家庭の話を公の場では控えていたものだ。

マスメディアで取り上げられるということは、特に都会において人と人とのつながりが希薄になってきている反動なのだろう。

出生率を見ればわかるように、いずれ、人口の半分が65歳以上になってしまうのだから、国としてもなんとしても若者を生み出してほしいのだろう。

しかし、いくら、マスメディアが力を入れても、やはり、結婚しない若者は増える一方であろう。

男性はもともと、食事などの身の回りのことが何とかなれば、無理に結婚したくないだろう。

女性も仕事を持って自活できれば、わざわざ、結婚して奥さんになりたいと思わないだろう。

都会に住んでいればなおさらであろう。田舎はまだまだ別なのだろうが。

ところで、人口減少が叫ばれているが、冷静に考えると、現在は、日本の歴史上、最大の人口を有しているのだ。

日本の統計-総人口の推移
http://www.stat.go.jp/data/nihon/g0302.htm

しかも、ここ数年は、人口減少のスピードは遅いと予測できる。
それは、現在の80代世代が、他の世代に比べて第二次大戦の影響で大幅に少数派の世代であるからだ。

日本の統計-我が国の人口ピラミッド
http://www.stat.go.jp/data/nihon/g0402.htm

その後、世代が変わり、現在の70台が80代になると、当然、死亡数は増えるだろう。

さて、老後をどうするかが問題となってくるが、ほとんどの人は、年取っても一人でも生活してけるだろう。

人間はどのような状況になっても、すぐに環境に適応していくはずだ。

すべてがあるがままに原因と結果の法則の元に流れていくのだろう。

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昨年の年末

「ライアゲーム」の再放送が、大晦日に再放送されていた。

これは、内容からいって資本家層、財界、国際金融資本といった支配層からのマスメディアを通してのメッセージであると感じた。

ライアゲームでは、人は争いなどしければ、勝ち負けも起こらず、しかも、平等に富を分配できるはずなのに、そんな方法は、絶対にありえないと、どこまでもだましあおうとするゲーム参加者がいる中で、唯一、ヒロインだけが、すべての罪を背負って、人々を救おうとする内容であった。

まさに、これは現代だけに限らない、いつの時代にも通じる人類のカルマがテーマなのである。

富を平等に分け合うことはシンプルなことであるがゆえに実行することは難しい。

人類レベルでシンクロナイズできれば大きな大きな力を生み出すのであろうが。

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